2011年3月14日月曜日

東北地方太平洋沖地震

3・11.2011
東北地方太平洋沖地震発生。
金曜日。週末のスノボ旅行を楽しみに早く仕事を終わらそうと思っていた。

突然揺れを感じた。けれど、いつものことだと鳩サブレをのんきに食べていた。
たまたま同僚と二人しかオフィスにおらず、机の下に隠れる彼女に
「大丈夫だよー」と言っていた。
揺れが大きくなったので、一応机の下に一緒にもぐる。
隣にある本棚が揺れていたので、右手で支えたが、揺れ具合が今までに感じたことのないもので
初めて身の危険を感じた。
靴を履こうと思っても、ぐらぐらして走れない。

やっとのことで9Fから非常階段で走り降りた。
1Fに着いたものの、非常扉が閉まっていて、見慣れない風景に方向感覚を失う。
原宿の駅前にはいつものように修学旅行生がたくさんいた。
パニックしている子達に、冷静さを奪われてしまいそうで、道を渡った。
竹下通りの入り口にあるアーチがぐらぐら揺れていた。

揺れがおさまったので、階段を上りオフィスに戻ると
倉庫にある蛇口が何かの反動でひねられていて、書類の入ったダンボールが水浸し。床にも水が溜まっていた。
食器棚からはガラスのコップが出て割れていた。
上司の引き出しは開いていて、書類が床に散らばっていた。
支えていた本棚の上にあったモデムたちが、コードにひっかかって床に落ちることはなかったようだが
宙ぶらりん。PC本体は倒れていた。

そこで2回目の大きな揺れ。
今度は貴重品をすべてもって駆け下りた。

上司に外で会い、状況報告。
その後、管理人さんにモップ、ほうき、ちりとりを借りて
水浸しの床を掃除、ガラスの破片の処理。

締め切りがあったフランスの会社に連絡。納期を延ばしてもらう。

津波の映像に放心状態。
何が起こったのか分からない。
家族に電話するもつながらない。

twitterでの情報が一番頼りになった。
DMで友達とコンタクト、安否の確認。
万が一のときにお世話になれる友達の力強いコメントに励まされる。

家族の安否も確認。
文京区の祖母の家に集合した様子。

22時まで会社で様子をみる。
上司がコンビニのグラタンを買ってきてくれた。

その後上司に家まで送ってもらった。
道には交通手段のなくなった人たちが大勢静かに歩いていた。

23時帰宅。
家の被害は特になかった。

その後壁の亀裂を3箇所発見。
余震はまだまだ続く。キッチンに引っ掛けてあるグラスがキンキン鳴ると揺れている証拠。

近所の友達の家に25時ごろに着く。
TVはずっとつけっぱなし。
朝5時前に眠りに着いた。
友達のおかげで安心して睡眠を取れた。



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